Democratic Luxury

2015年頃に「GQ JAPAN」という雑誌メディアで発信された言葉だ。

民主的な贅沢ということだが、昭和時代に生まれ育った自分には真顔で贅沢したいとストレートに口に出せない。その言葉の次の言い訳をなんとなく考えてしまう。良い意味でも悪い意味でも日本人なのかもしれない。贅沢の後ろにある浪費について後ろめたさがあるんだよね。

40になった頃、経済的な浪費だけが贅沢ではないとわかった。その瞬間、自分も大人に少し近づいたような気がした記憶がある。一番の贅沢って、最も大切な自分の時間を自分の裁量で好きに浪費することだと思っている。

贅沢に目が覚めた瞬間、20年前になんの不満もない順風満帆な会社員生活に終止符を打って起業した。サラリーマンでなくなったことで自分の裁量で時間を使えるようになった。その代償として、自動的に給料が振り込まれることがなくなった。自転車操業が始まり全てが自己責任となる。でも、眠くなるまで起きて、好きな時間に寝て、目が覚めたら仕事を始める。 自由に時間が使え、好きな時間に好きな仕事をしても誰からとやかく言われない。仕事が順調に回れば、こんな贅沢な生き方はないなぁとつくづく思った。

20年単位で起承転結の人生

第一の人生は、学生として過ごした20年間。第二の人生は、組織人としてまじめに仕事に没頭した20年間。第三の人生は、起業して社長という裸の王様みたいな生き方をした20年間。 残念ながら、これまでの3つの人生は、内容的にも、経済的にも成果も財産を残すことはなく、単に自分の時間を浪費したというお粗末な事実だけが残ったのである。自分的には十分満足なんだけどね。

lifeobmeaning

第四の人生

昨年、還暦も過ぎて、そろそろ俺の人生も起承転結の結である。 大した才能も能力もなく、老人化も始まっており、大した成果も残さない人生で終わることがほぼ確定しているわけだ。とても大衆的な人生だw

第四の人生だが、早めに社長業はやめたいと思っている。前述したように、大衆的なレベルの生き方した結果で、経済的な余裕があるわけでもなく、そういう意味では大衆的な暮らしを続けるのが前提、だから、Democratic Luxuryな人生を目指すことになる。 

お金もない、いつ死ぬかもしれない第四の人生は、より流動的な生き方をしていかきゃ周りにも迷惑かけることにもなるからだ。そのなかで「楽しくて」「面白くて」「素敵な繋がり」のあることに時間を使いたい。お金では買えない本質的な価値にフォーカスして時間を浪費していきたい。 

例えば、一本何万円もする海外の一流ワインを飲むことより、ぶどうを栽培し、ワインを造られた方の物語を聞きながら注がれるワインを飲むほうがよほど価値が高いと思う。 実際に現場で直の声に耳を傾けることに自分の時間を浪費していきたい。いろんな方の流儀を味わいたいっておもっているわけです。